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肝付 兼武(きもつき かねたけ、慶長6年(1601年) - 寛永12年8月19日(1635年9月30日))は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、第2代喜入肝付家当主。 父は肝付兼篤。母は岩切善信の娘。正室は渋谷重将の娘。子は肝付兼屋。通称は長三郎、弾正少弼。 == 略歴 == 慶長6年(1601年)、肝付兼篤の子として生まれる。慶長14年(1609年)、父の死去により家督相続。藩主家久の面前で元服して兼武と名乗る。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣の際に新納久信とともに出陣するも、肥後で和睦の知らせを受けて帰国する。元和2年(1616年)、領内に若宮大名神を勧請する。 寛永12年(1635年)8月19日没。家督は嫡男の兼屋が相続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肝付兼武」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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