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肝付 兼重(きもつき かねしげ、生年不詳 - 正平4年/貞和5年(1349年)?)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。肝付氏の第8代当主。第6代当主・肝付兼藤の次男。 == 生涯 == はじめは荻原氏の家督を継いでいたが、やがて兄の第7代当主・兼尚の代理として本家の家督も相続した。1335年末から南朝に与して各地を転戦。野辺盛忠や伊集院忠国らと共に、九州における南朝勢力の拡大に貢献した。1349年、北朝側の石井中務丞重信(石井氏)を攻めたが、まもなく病死し、家督は子の秋兼が継いだ。墓所は肝属郡高山町盛光寺跡。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肝付兼重」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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