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肝付 良兼(きもつき よしかね)は、大隅国の戦国大名。肝付兼続の嫡男で、肝付氏の第17代当主。 == 生涯 == 天文22年(1553年)、父・肝付兼続の隠居に伴い当主となるが、実権は依然として父が握っていた。永禄9年(1566年)の父の死後、家中の権力を掌握すると永禄11年(1568年)に反攻に転じ、まず伊東氏と同盟し、飫肥を攻めて島津軍を撃退する。元亀2年(1571年)には伊地知重興の救援に向かい、島津軍を撃退した。しかし直後に病死した。享年37。 名跡は、娘婿となった弟・肝付兼亮が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肝付良兼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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