|
胡 宗憲(こ そうけん、生年不詳 - 1565年3月)は、中国、明代の武将である。字は汝貞、号は梅林。諡は襄懋。 徽州績渓県の生まれ。1538年に科挙に合格、1553年に御使となり、趙文華、厳嵩の下で働き、北方防備などを務める。 浙直総督となり、朱紈、戚継光、兪大猷らとともに中国沿岸部で密貿易などを行っていた倭寇(後期倭寇)の討伐を行う。1556年には倭寇の頭目であった徐海を下し、1557年には同郷であった王直を懐柔して逮捕する。胡宗憲は王直の助命と海禁政策の緩和を嘆願するが、明の官僚の命で王直を処刑する。 王直逮捕の功績で太子太保となるが、福建で倭寇の活動が活発になると結託を疑われ逮捕され、獄中で自殺。 著作に『籌海図編』。中国の政治家胡錦濤は末裔とされる。 ==関連項目== *徐渭 *羅龍文 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「胡宗憲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|