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胡家鳳[こ かほう]
胡 家鳳(こ かほう、)は、中華民国の政治家・実業家。字は秀松。 == 事跡 == 1912年(民国元年)、国立北京法政専門学校を卒業し、後に北京政府で教育部主事、視学を歴任した。1923年(民国12年)4月から翌年8月まで江西省教育庁庁長署理を務めている。その後、私立中国大学、私立華北大学、国立北平大学農学院、警官高等学校で教授を歴任した。また、塩務学校で教育長兼校長代理も務めている。1931年(民国20年)2月より青島市政府秘書長に任ぜられた。 日中戦争(抗日戦争)勃発後、胡家鳳は山東省政府委員兼秘書長に任ぜられ、省政府主席の沈鴻烈に随従した。まもなく胡は国民政府軍事委員会国防最高会議第1処処長に転じている。1940年(民国29年)10月、江西省政府委員に任ぜられ、翌年1月には同省政府秘書長に就任した。戦後は軍事委員会東北行轅秘書長、立法院立法委員を歴任している。1948年(民国37年)4月、王陵基の後任として江西省政府主席に起用されたが、翌年1月に早くも辞任し、5月には香港へ移った。 1950年(民国39年)秋に胡家鳳は台湾に移り、総統府国策顧問に任ぜられた。翌年春、裕台企業公司董事長となっている。 1962年(民国51年)12月29日、台北市にて病没。享年77(満76歳)。
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