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胡瑗 : ウィキペディア日本語版
胡エン[こ えん]

胡 瑗(こ えん、993年 - 1059年)は北宋時代の中国の儒学者。翼之。安定先生と称される。諡は文昭。
== 事績 ==
泰州海陵(江蘇省)の出身。7歳から文章を書き、13歳で五経に通じ、泰山に行き孫泰山石徂徠について学業を完成。初めは呉中で経術を教授していたが、景祐年間(1034年~)の初めに雅楽を改定するさい、范仲淹の推薦により鐘律を定め、校書郎を授けられた。のちに保寧軍節度使として湖州で子弟数百人に教授した。慶暦年間(1041年~)に太学を興したときには、胡瑗が湖州で制定した法を採用したほど、影響力があった。皇祐年間(1049年~)太常鐘声を更新し、樂事を定めて大理寺丞となる。その後は太学で教授し、礼部の官僚の半数は胡瑗の弟子であったと伝えられる。嘉祐年間(1056年~)の初め、太子中允天章閣侍講に選ばれ、病のため太常博士として退官する。
主として明体達用の学を唱え、性命の説を述べ、孫復とともに朱子学の先駆をなした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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