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胡 車児(こ しゃじ、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。 == 正史の事跡 == 張繍配下。軍中第一の武勇を誇った。『三国志』魏書張繍伝注に引く『傅子』によると、建安2年(197年)に張繍が降伏したとき、曹操は胡車児の武勇を賞して自ら金を与えたという。これを聞いた張繍は、側近に暗殺されるのではないかと疑い、曹操に再び反逆したという。この件のみで、以後は史書に記述がない。ただし同本伝では、曹操が張繍の族父張済の妻を側妾にしたため、これを怨恨に思い謀反したとある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「胡車児」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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