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白声(しらごえ)とは、日本の伝統芸能の一部に特徴的な発声である。 == 概要 == 節談説教-説経節-祭文-ちょんがれ-浪花節と祭文系の芸能に特徴的な発声で、特に浪曲で一般に知られ、白声=寂声(さびごえ)=胴声(どうごえ)=シオカラ声=いわゆるダミ声で唸ることが必須であった時代は長くあった。日常的に大声を出す職種〔市場での声や、露店でよく聞かれる〕にも似た特有の声である(注意深く聞けば分かるが、若干違う)。倍音成分が多く、近年日本でも知られるようになったホーミーと類似するという説もある。 よく言われる「胴間声(どうまごえ)」は悪い声を示し、浪曲師の(理想的な)声(一例:桃中軒雲右衛門 )としては誤りである。 今でも「浪曲」の代表的イメージはこの声という面は大きいようで、落語の三遊亭歌奴(今の円歌)「浪曲社長」や、SWAの三遊亭白鳥作で柳家喬太郎も演じる「任侠流山動物園」でうなられる浪曲は、この白声を強くイメージしている。 その特徴的な声を作るために、喉から血が出るような修業を積んだという苦労談は多々ある〔これはただただ怒鳴る。そうしてカラカラに声を枯らしてしまう。そこをいよいよふた調子も三調子も張り上げて、血を吐く思いで歌いつづける。すると枯れがれに枯れつくした底の底のまた底の方から滾滾と美しい声の泉が噴き上げて来る。即ちそれが、自分の研がれ、磨かれ、鍛え上げられたほんとうの「声」なのだ。 -正岡容「日本浪曲史」南北社版 P.357-358〕〔「すると先生は「まず声の訓練をせよ」とおっしゃいました。ごうごうと落ちる滝、ざあざあと流れる川、どうどうと打ち寄せる波、そういうものに向かって、それらの音に敗けない声でお経をせよ。三日か四日で声はつぶれるが、それでも出ない声でやる。そのうちのどから血が出る。それでもまだやる。そうして三十日か四十日たったころに何日も何日もしゃべっても決して枯れない声になる。本格的な布教師になるならば、それに耐える努力をしなければならないがどうか、というわけです。祖父江(1985)p.69〕。が、マイクロフォンが発達して以降は、胴声は必須ではなくなった。小音(しょうおん。マイクなしでは寄席の後方まで届かないような小さな声)であってもその才能が生かされるようになり、代わりに胴声を使いこなす浪曲師は(他の芸能でも)減少の一途をたどったまま現在に至る。 西洋音楽のベルカント唱法とは対極に位置するもので、西洋音楽が主流となった現在では、いよいよ蔑まれがちな声でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「白声」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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