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能海 : ウィキペディア日本語版
能海

能海(1886年1月20日-1967年1月1日)は、中国のチベット仏教禅宗臨済宗の僧。字は緝熙と闊初、法名が能海で。四川省綿竹市漢旺鎮出身で俗姓は龔学光。
==略歴==
1886年、四川省綿竹市漢旺鎮に生まれる。父親龔常一は商人。母親は張氏。幼年の時、両親が亡くなって、能海と姉は互いに頼りに生きて。14歳の時、能海は成都恒升通匹頭業店で丁稚になっている。20歳の時、陸軍学校卒業、卒業後は雲南講武堂教官を務める。1910年、能海は日本へ渡航し、政治と実業を考察する。能海は仏教に接触し始めた。
1924年(民国十三年)、39歳ので涪陵天宝寺にて出家得度、佛源に師事、禅宗臨済宗第四十四世法脉。1925年(民国十三年)、成都市新都区宝光寺の釈貫一のもとで具足戒を受ける。1928年至1940年、西藏宗喀巴大師二十八代継承者康薩仁波切に師事して学び。
1936年、能海はネパールを経由して、インドで、海の輪廻上海。後、五台山の広済寺に住した。1937年、能海は成都市南郊の近慈寺くに住む、寺には住まなかったが再興に尽力し、威德殿、大師殿、藏経棒、沙弥堂、訳経院、金剛院、方丈寮創立。
1949年後、全国人大代表、山西省政協委員、中国仏教協会副会長、山西省仏教協会会長を歴任する。
1966年、毛沢東文化大革命を発動する。広済寺茅蓬に移り、能海は集団労働に参加させられた。1967年1月1日、五台山碧山寺にて示寂。享年81で入滅。法臘43。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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