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能登川昭和映画劇場(のとがわしょうわえいがげきじょう)は、かつて存在した日本の映画館である〔年鑑, p.530.〕〔総覧, p.113.〕〔総覧, p.121.〕〔総覧, p.133.〕〔便覧, p.134.〕〔昭和32年の映画館 滋賀県 38館 、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1957年1月1日号)、2014年6月12日閲覧。〕〔便覧, p.205.〕〔便覧, p.135.〕。 正確な時期は不明であるが、昭和初年の1930年代には滋賀県神崎郡八幡村(現在の同県東近江市能登川地区)の能登川駅前に多目的娯楽施設湖東館(ことうかん)として開館した〔。第二次世界大戦が本格的になると建物は工場化されたが、戦後、1947年(昭和22年)には有志の手により映画館として復興〔、能登川劇場(のとがわげきじょう)と改称する〔〔。1953年(昭和28年)9月、八日市市の協楽興業に経営権が移り、能登川昭和映画劇場と改称する〔〔〔。1968年(昭和43年)前後には映画の常設上映は終了しているが〔〔便覧, p.145.〕、閉館したのは1991年(平成3年)である〔〔能登川昭和映画劇場、1991年10月14日撮影、能登川昭和映画劇場、2014年6月12日閲覧。〕。能登川の歴史上、最初で最後の映画館であった〔〔。略称は能登川昭映(のとがわしょうえい)、通称昭映(しょうえい)〔。イラストレーター・グラフィックデザイナーの黒田征太郎の回想に登場する映画館としても知られる〔本田, p.189-191.〕。 == 沿革 == * 1930年代 - 多目的娯楽施設湖東館として開館〔 * 1947年 - 映画館として復興〔、能登川劇場と改称〔〔 * 1953年9月 - 能登川昭和映画劇場と改称〔〔〔 * 1968年前後 - 映画の常設上映終了(休館)〔〔 * 1991年 - 閉館〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「能登川昭和映画劇場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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