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能見松平家 : ウィキペディア日本語版
能見松平家[のみまつだいらけ]

能見松平家(のみまつだいらけ)は、三河国松平氏の庶流。松平信光の八男・光親を祖とする。三河国額田郡能見(現在の愛知県岡崎市能見町)を領したことから能見松平家と称す。
3代・松平重吉の頃から徳川家康に仕えた。家康の岡崎独立時代から豊臣秀吉死後の徳川家の覇権掌握の時期は、4代・松平重勝から5代・重忠の頃に相当する。その間、能見松平家は長篠の戦い大坂夏の陣などの徳川宗家が関わった各戦場で戦功を挙げている。
元和2年(1616年)に下総国関宿藩2万6千石の大名となる。他の松平分家と比較すると遅い出世となるが、これは当主の松平重勝が家康の六男・松平忠輝の付家老であった為と考えられる。
重勝の功績の数々が認められたため、忠輝の改易に連座することはなく、独立大名として取り立てられた。重勝の長男以外の子たちも大名として取り立てられ、それぞれ分家を興している。
その後、本家は遠江国横須賀藩2万6千石、出羽国上山藩4万石、摂津国三田藩3万石、豊後国高田藩3万7千石と転封を続けたが、7代・松平英親の時に移封した豊後国杵築藩3万2千石に定着し、幕末まで存続する。
14代・松平親貴のとき、戊辰戦争が起こると旧幕府側から離反し、新政府側に寝返る。のち廃藩置県を迎え、子爵に列せられた。
== 系図 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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