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脇坂 安総(わきざか やすふさ、生年不詳 - 延宝5年10月27日(1677年11月22日))は江戸時代の旗本。 大洲藩初代藩主脇坂安治の六男。信濃飯田藩初代藩主脇坂安元の弟。2代藩主脇坂安政の継叔父。初名は安方。通称は六右衛門、主馬助。母は側室。正室は下津屋宗雄の娘。子に安通。 慶安3年(1650年)9月3日、将軍徳川家光に拝謁すると同時に徳川家綱に附属し、江戸城西の丸の御小姓組に列する。 承応元年(1652年)12月18日、廩米300俵を賜るが、承応3年(1655年)甥の安政が家督を相続した際、上総国長柄郡2,000石を分知され廩米は収公となる。 明暦3年(1657年)丸亀藩主山崎治頼の夭逝による改易の際、受取りのため城地に赴く。のちに小普請となる。 延宝5年(1677年)没。法名は守芳。高輪の東禅寺に葬られた。 == 関連項目 == * 脇坂氏 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「脇坂安総」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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