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脇坂安親 : ウィキペディア日本語版
脇坂安親[わきさか やすちか]

脇坂 安親(わきさか やすちか)は、播磨龍野藩の第7代藩主。龍野藩脇坂家9代。
== 生涯 ==
元文3年(1738年)12月19日、近江宮川藩堀田正陳の四男として生まれる。龍野藩の第3代藩主脇坂安清の弟の安利は、宝永7年(1710年)に2000石を分与されて旗本となっていたが、その長男である安種には嗣子が無かった。このため、安親が養子となって2000石の家督を継いだ。脇坂家は安利の祖父にあたる安政堀田家から養子入りしており、正陳の曾祖父の堀田正信は安政の兄であった。
宝暦9年(1759年)に本家の第6代藩主脇坂安実が早世する。安実にも嗣子が無かったため、安親が養子となりその家督を継いだ。12月に従五位下・淡路守に叙位・任官する。幕命により、追手組防火職・桜田防火職・江戸城桜田門番・勅使朝鮮通信使大納言などの接待役などを務めた。天明4年(1784年)4月13日、次男の安董に家督を譲って隠居する。
文化7年(1810年)5月14日、江戸で死去した。享年73。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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