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脇子八幡宮[わきこはちまんぐう]
脇子八幡宮(わきこはちまんぐう)は富山県下新川郡朝日町にある神社。 == 歴史 == 『日本紀略』には寛平元年(889年)に脇子神に従五位下を授けるとの記載があり、六国史以外に記載が見られる式外社に該当する。 中世には平家追討の影響を受けて、以仁王の第一皇子が神前で元服し、北陸宮が擁立された。寿永2年(1182年)、源義仲が平家追討の祈願を行った。八幡宮には、当時義仲が献進したとされる太刀が、米正作の扇額4面・鏡1面とともに保管されている。 天正年間(1573年-1592年)、現在地に社家を移築し、泊地区の氏神となった。城山頂上はかつての宮崎城の城址であり、横尾の里宮に対して、ここには現在奥宮が存在する。 近代社格制度のもとで神社名を脇子八幡宮として明治4年(1871年)に郷社に列格した。昭和20年(1945年)に県社昇格の内定を受けていたが終戦となり、現在に至っている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「脇子八幡宮」の詳細全文を読む
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