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脇谷のトチノキ[わきだにのとちのき] 脇谷のトチノキ(わきだにのトチノキ)は、富山県南砺市(以前の富山県東礪波郡利賀村、2004年11月1日に周辺町村と合併して、南砺市を新設して消滅)に生育しているトチノキの巨木である〔『自然紀行 日本の天然記念物』 149頁。〕〔渡辺、224頁。〕〔脇谷のトチノキ 国立大学法人北陸先端科学技術大学院大学ウェブサイト、2013年3月1日閲覧。〕。推定の樹齢は伝承上は約1000年、実際は800年ほどといわれる〔。日本国内で最大級のトチノキであり、1926年(大正15年)に同じ利賀村内に生育していた「利賀のトチノキ」(とがのトチノキ、後に指定解除)とともに国の天然記念物に指定された〔『自然紀行 日本の天然記念物』、118頁。〕〔『天然記念物事典』、175頁。〕〔脇谷のトチノキ 文化遺産オンライン、2013年3月3日閲覧。〕。ただし、幹の内部が一部空洞化している上に雪害などで大枝が2本折損しているため、天然記念物指定時に比べて木のスケールは小さくなっている〔〔。 == 由来 == 利賀村は庄川の支流、利賀川を中心にして南北に細長く広がる山村で、南は岐阜県に接している〔牧野(1988)、201-202頁。〕〔牧野(1990)、30-31頁。〕。峡谷に挟まれた山間部の自治体のため、村外へ出るにもアクセスが困難で「秘境」といわれるほどの過疎地域であったが、合掌造りの建物を改造した「利賀山房」や、1982年(昭和57年)からの世界演劇祭「利賀フェスティバル」の開催などによって知名度を上げた〔〔世界演劇祭「利賀フェスティバル」 南砺の観光 なんと-e.com、2013年3月1日閲覧。〕。 利賀村には、日本国内最大級のトチノキが2本存在していた〔〔『日本の天然記念物5 植物III』、70-71頁。〕。旧利賀村役場のそばに生育していた「利賀のトチノキ」と、村の入り口近くに生育する「脇谷のトチノキ」である〔〔。2本とも推定の樹齢は伝承上は約1000年、実際は800年ほどといわれていた〔〔。トチノキの実は、かつて米の代用食として使われていたため大切に守られて、この山村に巨木2本が残されていた〔〔。利賀のトチノキと脇谷のトチノキは、1926年(大正15年)10月20日に同時に国の天然記念物に指定された〔〔〔。 脇谷のトチノキは傾斜地に生育し、北西側の土際が低くなっていて根が現れ、高い部分の土際とは約4メートルの差ができている〔。高い部分の土際で測った幹囲は約11.80メートル、そこから1.5メートル下の幹囲は約9.70メートルあった〔。幹の表面は通常のトチノキとは異なって瘤状の突起がほとんど見られず滑らかだが、楕円形に偏って発達し、内部は地上から約6メートル付近まで空洞になっている〔〔〔〔。幹の上部は空洞の上部分で2つに分かれ、異なる方向に伸びる大枝となっていた〔。大枝は南西側と北東側の双方に伸びていたが、北東側の大枝から分かれる枝の方が多かった〔〔。枝は毎年交互に花を咲かせるといわれ、両方向の枝が同時に花を咲かせる年は不吉だという迷信が伝えられていた〔〔。この迷信について評論家で巨木に関する著書の多い牧野和春は、「わずかな生産量(冨)を公平に分配することによって生活が維持されてきた山村の掟を暗示しているようで興味深い」と記述している〔。 この木は1981年(昭和56年)の豪雪で被害を受け、大枝が1本折損した〔。1988年(昭和63年)にも残っていた方の大枝が折損し、木のスケールは小さくなって樹勢も衰えてしまった〔〔。木の近くには南砺市教育委員会が設置した説明板の他に、折損前のかつての姿(昭和36年当時)をモノクローム写真で写しだした看板が1998年(平成16年)に設置されている〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「脇谷のトチノキ」の詳細全文を読む
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