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腎移植(じんいしょく、)は、末期腎不全患者に対する腎臓の移植のこと。腎臓移植(じんぞういしょく)とも言われる。末期腎不全患者における血液透析、腹膜透析に替わる治療法の一つ。提供される腎臓のドナーの生死により、死体腎移植および生体腎移植に大別されるとともに、ドナーとレシピエント間の遺伝的関連の有無などによって分類される。 == 歴史 == 1930年代の旧ソ連邦や1950年代のアメリカにおいて、死体腎移植の臨床例が見られるが、免疫抑制療法の無い時代のため、いずれも術後間もなく腎機能は廃絶している〔「世界で最初に同種腎移植をしたソビエトの外科医ボロノイのことはあまり知られていないが、1936年にスペインの医学雑誌「El Siglo Medico」に彼が発表した論文が残っており、スコットランドの医師ハミルトンとリードがその論文を引き合いに84年に著した記事がある。」「移植グラフィティー(3) 」より (太田和夫(太田医学研究所所長)〕。 生体腎移植における世界最初の成功例は、1954年12月23日、米ボストンのPeter Bent Brigham Hospitalにおける、内科医ジョン・パットナム・メリル、形成外科医ヨセフ・マレー〔1990年にノーベル生理学・医学賞を受賞〕らによる生体腎移植である。これは一卵性双生児間の腎移植であったため、移植された腎臓は拒絶反応を起こさず、レシピエントは術後8年生存し、ドナーは術後56年後の2010年、79歳で亡くなった。 日本においては、1956年、新潟大学で行われた急性腎不全患者に対する生体腎移植が最初であるが、これは一時的なものであった。生着をめざした腎移植は、1964年、東京大学で行われた慢性腎不全患者に対する生体腎移植が最初である〔「日本最初の急性腎不全に対する腎移植 」(移植グラフィティー(14) 太田和夫)より〕。 遺伝子型の適合しない腎移植は、X線照射などによる拒絶反応の抑制を必要とし、その副作用として感染症やガンなど深刻な症状を引き起こした。しかし、免疫抑制メカニズムの解明の進展、1960年以降の免疫抑制剤の改良〔1960年のアザチオプリン(商品名アザニンおよびイムラン)、1970年代のシクロスポリン(商品名ネオーラル)、1990年代のタクロリムス(商品名プログラフ、グラセプター)などの拒絶反応を抑制する薬剤の発見・開発により、生着率が飛躍的に改善した。〕、さらに移植臓器の保存技術の発展などにより、飛躍的に生着率が伸び、現在では全世界で年間数万件の腎移植が行われるに至っている。 一方で、腎移植を希望する末期腎不全患者は増加しており、移植臓器の供給が世界的に不足している。このため、自国外で臓器移植を行う移植ツーリズム〔2008年5月、国際移植学会を中心としたイスタンブールでの国際会議において、自国内での死体臓器提供の機会拡大と移植ツーリズム、臓器取引、移植商業主義への反対および生体ドナーの保護と安全性と高潔な行為に対する適切な社会認識の確保を呼びかける提言が採択された。(臓器取引と移植ツーリズムに関するイスタンブール宣言 )〕や金銭が伴う臓器取引、脳死患者からの移植など、倫理的な問題も顕在化している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「腎移植」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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