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腰抜け二刀流[こしぬけにとうりゅう]
『腰抜け二刀流』(こしぬけにとうりゅう)は、1950年(昭和25年)製作・公開、並木鏡太郎監督の日本の長篇劇映画である。森繁久彌が映画出演2作目にして、初主演に抜擢されたミュージカル・コメディである。 == 略歴・概要 == 早稲田大学を卒業し〔佐藤一郎 、『日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2009年11月10日閲覧。〕、第二次世界大戦前、東宝の前身の東宝映画に入社し、戦後、新東宝の設立に参加した〔映画プロデューサーの佐藤一郎が、佐藤プロダクション名義で製作した作品である。マキノ・プロダクションのヴェテラン監督並木鏡太郎、山中貞雄が参加したことで知られる脚本家集団・鳴滝組出身の脚本家三村伸太郎といった大御所を新東宝に招き〔瀬川昌治と喜劇役者たち エノケンからたけしまで - 瀬川昌治インタビュー vol.2 、''flowerwild.net'', 2008年2月6日付、2009年11月10日閲覧。〕、同年5月6日にマキノ正博(のちのマキノ雅弘)と離婚したばかりの轟夕起子〔『映画渡世・天の巻 - マキノ雅弘自伝』、マキノ雅弘、平凡社、1977年、p.225, 255-260.〕を、同年3月に並木が監督した『右門伊豆の旅日記』以来連続的に起用した〔轟夕起子 、日本映画データベース、2009年11月10日閲覧。〕。 1947年(昭和22年)に東宝が製作・配給した『女優』に端役で出演した後〔女優 、日本映画データベース、2009年11月10日閲覧。〕、ムーランルージュ新宿座の舞台で軽演劇に出演していた、佐藤と同世代で同じ早稲田大学出身の俳優・森繁久彌を主役に抜擢した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「腰抜け二刀流」の詳細全文を読む
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