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『腰辨頑張れ』(こしべんがんばれ)は、1931年(昭和6年)に松竹蒲田撮影所(松竹蒲田)が製作し同年に公開された、成瀬巳喜男監督による日本の短篇劇映画、サイレント映画である〔''Flunky, Work Hard!'', インターネット・ムービー・データベース 、2013年1月31日閲覧。〕〔''腰弁頑張れ''、日本映画データベース、2013年1月31日閲覧。〕〔''腰弁頑張れ''、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月31日閲覧。〕〔''腰辨頑張れ''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月31日閲覧。〕〔生誕百年特集 映画監督 成瀬巳喜男 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月31日閲覧。〕。新漢字表記『腰弁頑張れ』〔〔。成瀬の監督作としては第8作〔〔佐藤 , p.448.〕で、うち現存する中で最古の作品である〔。 == 解説 == 1930年(昭和5年)1月21日に公開された喜劇映画『チャンバラ夫婦』で監督に昇進した成瀬にとっての第8作にあたり、松竹蒲田での短編習作時代で最も高く評価された出世作である〔田中ほか編 , p. 82〕。1931年8月8日、東京・浅草公園六区の帝国館などで公開された〔〔。同時上映は、松竹蒲田の所長だった映画プロデューサー・城戸四郎唯一の監督作で、田中絹代主演の7巻の長篇映画『ルンペンとその娘』であった〔ルンペンとその娘 、日本映画データベース、2013年1月31日閲覧。〕〔、2013年1月31日閲覧。〕。 タイトルにある「腰辨」(腰弁)とは、江戸時代に下級武士が袴の腰に弁当を結びつけて出勤していたことに由来する「腰弁当」の略で、小役人や地位の低い勤め人、安サラリーマンを指す語である〔、2013年1月31日閲覧。〕〔、2013年1月31日閲覧。〕。本作においては、山口勇が演じる主人公の保険勧誘員・岡部〔〔山本 , p.355.〕を表している。 体裁としては、松竹蒲田で若手監督に課せられていたナンセンス喜劇の形を取っているが、主人公とその家族の生活や心情に迫ることにより、単なるナンセンス喜劇を突き抜けて、松竹蒲田で小津安二郎が先行していた風刺的な小市民作品の系統を追うものとなった〔。 技術的側面では、主人公の脳裏にフラッシュバックする息子とのやりとりの場面などで、幾何学的に画面を分割し、過剰なモンタージュが使用されている〔。撮影は「三浦賞」に名を残す三浦光男が務めている〔〔〔。作品冒頭のクレジットでは「原作・監督 成瀬巳喜男」とされている〔〔〔が、脚本も成瀬が書いている〔石割ほか , p.36.〕。後に記録映画作家となる秋元憲は、当時、松竹蒲田で劇映画の助監督を務めており、島津保次郎監督の『上陸第一歩』(1932年)、野村芳亭監督の『島の娘』(1933年)のほか、本作も担当している〔キネマ旬報 , p.9.〕。 2013年(平成25年)1月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、38分完全尺の35mmフィルム2種および16mmフィルムの合計3種類の上映用ポジプリントを所蔵している〔〔〔所蔵映画フィルム検索システム 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月31日閲覧。〕。同プリントは、2001年(平成13年)10月13日 - 同月20日、イタリア・サチーレで開かれた第20回ポルデノーネ無声映画祭で上映された〔''KOSHIBEN GANBARE'', ポルデノーネ無声映画祭 、2013年1月31日閲覧。〕。マツダ映画社は、本作を所蔵作品のリストに掲載していない〔主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇 、マツダ映画社、2013年1月31日閲覧。〕。 ビデオグラムについては、2011年(平成23年)3月22日に米国のが、第26巻として発売したDVDボックス『サイレント・ナルセ』に収録された〔。『サイレント・ナルセ』には、ほかに松竹蒲田時代の作品『生さぬ仲』(1932年)、『君と別れて』『夜ごとの夢』(1933年)、『限りなき鋪道』(1934年)が収録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「腰辨頑張れ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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