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切腹(せっぷく)は、自分の腹部を短刀で切り裂いて死ぬ自殺の一方法。腹切り(はらきり)・割腹(かっぷく)・屠腹(とふく)ともいう。主に武士などが行った日本独特の習俗。 外国でも日本の風習としてよく知られ、hara-kiriやseppukuとして英米の辞書に載っている。小林正樹監督映画『切腹』も''Harakiri''(1962年)として海外で紹介された。 == 概念 == 日本の封建時代の道徳観念のもとでは、不始末が生じた場合にその責任をみずから判断し、自分自身で処置する覚悟を示すことで名誉を保つ社会的意味があり、「自決」また「自裁」とも称された。近世以降は、自死のみならず処刑方法としても採用されたが、切腹させることは「切腹を許す」と表現され、切腹の場所には新しい畳を重ねて敷き、幔幕をめぐらすなど念入りに整えられ、対象者を武士待遇に扱う、一種の名誉刑であった。より罪の重い者には、百姓町人身分に対する不名誉刑の斬首や磔、絞首刑などが科せられた。 切腹が習俗として定着した理由には、新渡戸稲造が『武士道』(''Bushido: The Soul of Japan''、1900年刊)の中で指摘した、「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰」から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされたとの説が唱えられているとされる。 切腹の動機としては、主君に殉ずる「追腹」(おいばら)、職務上の責任や義理を通すための「詰腹」(つめばら)、無念のあまり行う「無念腹」、また、敗軍の将が敵方の捕虜となる恥辱を避けるためや、籠城軍の将が城兵や家族の助命と引き換えに行うことがある。また、戦場における命令違反を行った者に対し、刑罰的な意味で切腹を命じる場合もあった。〔徳川家康は下知なき行動(抜駆け)に対し、一族郎党全員の切腹という厳しい軍律を設けていた。ノモンハン事件では、優勢なソ連軍の猛攻を受けた指揮下の部隊を許可なく撤退させ、全滅から救った指揮官に自決が強要されている。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「切腹」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Seppuku 」があります。 スポンサード リンク
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