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臨時参議院(りんじさんぎいん)は、清末に辛亥革命を起こした革命派政府の機関である。中華民国建国後に正式に成立し、国家機関となった。管轄は立法権等である。1912年(民国元年)1月28日から1913年(民国2年)4月8日までを存続期間とする。 なお一般には「臨時参議院」と称されるものの、根拠法である「臨時政府組織大綱」と「中華民国臨時約法」においては、単に「参議院」と定められているにすぎない。後年の参議院という名称の機関と区別するために、本項目では「臨時参議院」という名称を用いる。 また、1917年(民国6年)11月11日から1918年(民国7年)8月12日まで、やはり中華民国臨時約法に基づく参議院が組織され、これも「臨時参議院」と呼ばれる〔及川恒忠『支那政治組織の研究』は270-273頁において、この臨時参議院を「新参議院 〔過渡的の臨時参議院〕」として記述している。〕。この臨時参議院については、別項目(→臨時参議院 (1917年 - 1918年))を参照されたい。 == 経過 == === 辛亥革命から孫文臨時大総統時期まで === 1911年(宣統3年)10月10日、武昌起義が勃発して辛亥革命が開始される。11月8日、黎元洪を都督とする革命派の湖北都督府(湖北軍政府)が成立した。湖北都督府の呼びかけで革命派の各省代表が漢口に集結し、30日、第1回の各省代表会議(議長:譚人鳳)が開催される。12月3日、臨時政府組織大綱が議決され、即日公布された〔以上は、及川249頁、周天度「譚人鳳」80頁による。なお楊鴻年・欧陽『中国政制史』、401頁によると、各省代表会議第1回会議の開催は11月28日、臨時政府組織大綱の議決・公布は11月30日としている。〕。この組織大綱の第2章が臨時参議院について規定している。これに基づき、各省の革命派は参議院議員をそれぞれ選出した。 1912年(民国元年)元旦に、孫文(孫中山)を臨時大総統とする中華民国臨時政府が南京で成立した。各省で選出された参議院議員も南京に続々と集結し、1月28日、議員数が規定の過半数に達したとして臨時参議院の成立大会が開催された〔楊・欧陽、407頁。及川、250-251頁。〕。議長に林森、副議長に王正廷が選出されている。 南北和平の機運が高まった2月13日に、臨時大総統孫文は臨時参議院に辞表を提出し、翌日、袁世凱を後任に推挙するよう臨時参議院で演説した。15日、臨時参議院は袁を臨時大総統に選出した。しかし首都について、孫が退位条件に示した南京維持説と、袁が主張する北京遷都説が対立し、臨時参議院でも両派に分かれて議論となる。結局3月6日に、臨時参議院は条件付きながらも、袁が北京で臨時大総統に就任すること(すなわち北京遷都)の許可を議決した〔及川、251頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「臨時参議院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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