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臨時補助貨幣 : ウィキペディア日本語版
臨時補助貨幣[りんじほじょかへい]
臨時補助貨幣(りんじほじょかへい)とは、戦局悪化に伴う貨幣材料調達事情による様式変更を、勅令(後に政令)を以って臨機応変に対応可能とした「臨時通貨法」(昭和13年法律第86号)の下、日本鋳造され発行、流通した補助貨幣の総称である。1988年(昭和63年)の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」(昭和62年法律第42号)施行に伴い臨時通貨法が廃止されると共に、臨時補助貨幣も一部を除いて貨幣と見做されることとなった。
本項では、「臨時通貨法」施行後から廃止までに造幣局で製造、発行された臨時補助貨幣について解説する。1988年(昭和63年)3月以前に発行された「貨幣とみなす臨時補助貨幣」と位置付けられる現行貨幣については「日本の硬貨」を、また同様の現行記念貨幣については「日本の記念貨幣」の項目も参照の事。
また「臨時通貨法」施行以前の補助銀貨については「日本の銀貨」を、その他の補助貨幣については「日本の補助貨幣」の項目を参照の事。
== 歴史的経緯 ==
1937年(昭和12年)、盧溝橋での日中両軍の衝突を発端に勃発した支那事変日中戦争)を契機に、1938年(昭和13年)6月1日に「臨時通貨法」が施行され、その第一条「政府ハ必要アルトキハ貨幣法第三条ニ規定スルモノノ外臨時補助貨幣ヲ発行スルコトヲ得」により、「貨幣法」(明治30年法律第16号)で規定された貨幣以外の臨時補助貨幣を発行する事が出来るようになった。また、臨時補助貨幣の素材品位量目及び形式は勅令を以って定めるとされ、様式改正の際は帝国議会の承認を得ることなく、勅令により変更が可能となった。このとき十銭、五銭および一銭の臨時補助貨幣が規定され、通用制限額は十銭および五銭が五、一銭が一圓まで法貨として通用すると規定された。これ以降、発行される貨幣は臨時補助貨幣のみとなり、「貨幣法」に基づく貨幣が発行されることは無く、有名無実化した法律のみが「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」が施行される迄の1988年(昭和63年)3月末まで生き続けた〔青山礼志 『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』 ボナンザ、1982年〕〔造幣局125年史編集委員会編 『造幣局125年史』 大蔵省造幣局、1997年〕。
当初は戦争の影響による通貨拡大に伴う補助貨幣需要増大を補うため、新規発行貨幣で不足分を補う見通しであったが、軍需用金属の需要が高まるにつれ、次第に以前発行の貨幣を回収し交換していく形に移行した。特にアルミニウム貨幣は増産が容易であり、一銭、五銭および十銭の硬貨については昭和18年(1943年)頃までに、既存の補助貨幣の発行枚数を凌駕するに至った。すなわち流通貨幣の大部分が臨時補助貨幣に入れ替ったことになる〔大蔵省昭和財政史編集室 『昭和財政史(第9巻)通貨・物価』 東洋経済新報社、1956年〕。
「臨時通貨法」施行と同時に製造が始まったのが、十銭および五銭のアルミニウム青銅貨幣および一銭黄銅貨幣であった。貨幣の材料には戦時体制下においても調達が可能であり、かつ有事の際は回収して兵器への転用が容易なものが選定された。十銭および五銭がニッケル貨幣から変更されたのは、ニッケル貨幣発行本来の目的を達成すべく、ニッケルの兵器転用が進行したことを意味する。一銭については、電線、弾薬(雷管弾丸の被甲、薬莢に用いる黄銅の原料などとして)をはじめとする軍事物資におけるの需要が高まったため、間もなくアルミニウム貨幣に変更された。貴金属であるを使用した五十銭銀貨幣については政府紙幣の発行で代用されることとなり、回収が進行した。
1940年(昭和15年)になると、十銭及び五銭もアルミニウム貨幣に変更された。これらは1941年(昭和16年)の大東亜戦争太平洋戦争)開戦の約三ヶ月前にアルミニウムの量目が削られ、更には戦備増産の影響を受けて貨幣用資材調達の為に1943年(昭和18年)に再び量目の削減が行われた。
当時の日本は軍の占領下にあったマレーシアなど、スズの産地を有していた。スズは軟質であり貨幣材料としては適当といえるものではなかったが、アルミニウムに替わる貨幣材料として1944年(昭和19年)には錫貨幣が発行されるに至った。以後、アルミニウムは航空機材料に用いられていた為、日本各地でアルミニウム貨幣の回収が繰り返し行なわれた。このような中、制空権、制海権を連合軍側が握るとスズの輸送も困難となり、新たに陶貨幣の試作を行い、その製造が開始されたところで終戦を迎えた。
1945年(昭和20年)8月、戦後間もなく一銭錫貨幣を、9月からは五銭アルミ貨幣の製造を始めたが、これは国名が「大日本」表記のものであったため連合国軍最高司令官総司令部に発行を差し止められた。そこで同年11月から新たなデザインで十銭アルミニウム貨幣を、12月からは五銭錫貨幣が製造開始され、国名表記は「日本政府」となった。
しかしながら造幣局手持ちのアルミニウムおよびスズの地金は間もなく底をつく見通しとなり、新たな貨幣材料の確保が課題であったところに、戦時中、軍が使用していた薬莢弾帯、黄銅棒など黄銅の材料が多量に存在することが判明し、1946年(昭和21年)から五十銭黄銅貨幣の製造が始まった。しかし、新円切替直後のこの時期は戦後処理によるインフレーションが激しく、1947年(昭和22年)7月からは小型化した五十銭黄銅貨幣に改正された。さらにインフレーションは進行し、1948年(昭和23年)には五円および一円と、遂に「円」単位の臨時補助貨幣が登場するに至った。この五円黄銅貨幣は現行貨幣最古参のものである。五十銭黄銅貨幣の通用制限額は十円までとされ、以降追加された臨時補助貨幣の通用制限額はすべて額面の20倍に定められた。
「臨時通貨法」は当初、支那事変終了後一年という期限付きの時限立法であったが、1942年(昭和17年)に大東亜戦争終了後一年に変更され、第二次世界大戦後はこの期限も削除された。その後、国会による「臨時通貨法」の改正により、臨時補助貨幣に十円五十円、さらに百円が順次追加され、本来補助貨幣単位でない「円」単位の補助貨幣が次々に登場した。また「銭」単位は取引において事実上ほとんど意味を成さないものとなっていたため、「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」(昭和28年法律第60号)により1953年(昭和28年)末をもって銭・厘単位の補助貨幣、臨時補助貨幣、および鋳潰しの対象となっていた一円黄銅貨幣は廃貨措置がとられた。
1964年(昭和39年)には東京オリンピック記念貨幣が臨時補助貨幣として発行され、1982年(昭和57年)には通常貨として五百円白銅貨幣が追加された。さらに1986年(昭和61年)の天皇陛下御在位六十年記念硬貨発行に至り、1897年(明治30年)施行の「貨幣法」が依然有効であった中、純金製の十万円金貨幣が臨時補助貨幣として発行されるという矛盾が露呈した。このことが翌年の1987年(昭和62年)の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」の公布、及び「貨幣法」、「臨時通貨法」の廃止に繋がるきっかけとなる〔『日本貨幣収集辞典』 原点社 2003年 〕。
1988年(昭和63年)4月1日の「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」の施行により、それ以前に発行されていた臨時補助貨幣〔一円黄銅貨幣を除く円単位の臨時補助貨幣。〕および記念貨幣は、新法により発行された貨幣と見做されることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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