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自由シリア軍(じゆうシリアぐん、 ; , 略称:FSA)は、シリアの反政府武装組織。2011年に設立し、翌2012年の下部組織である軍事事務所の監督下に入る見込み。 ==経過== 2011年に始まったシリア国内の争乱の過程で、同年7月にリヤード・アル=アスアド大佐が率いる政府軍の一部が離反し結成。翌8月にはフセイン・ハルムーシュ大佐が率いる自由将校旅団と合流し規模を拡大、さらに後にアサド政権に反目するスンニ派の勢力も取り込み、戦闘員は数万人規模に成長。各地で武装闘争を開始した。 2012年7月16日、「ダマスカスの火山とシリアの地震」と命名した総攻撃作戦を開始、イラクやトルコとの国境検問所等を襲撃、イラク国境沿いの検問所は全て占拠した。2日後の18日には首都ダマスカスの治安司令本部に爆弾攻撃をしかけ国防相、副国防相ら3人を殺害している。 2012年7月以降、シリア第二の都市アレッポに展開し、激しい市街地戦を引き起こした。 2012年9月22日、リヤード・アル=アスアド最高司令官は、軍司令本部を隣国のトルコからシリア国内(場所は伏せられたまま)に移動したと発表。 2012年11月、自由シリア軍がラース・アル=アインを制圧。しかしクルド人、キリスト教徒が多数を占める同市ではアラブ人たる自由シリア軍の支配に反発が高まり、民衆と自由シリア軍が衝突する事態となった。一方クルド人民防衛隊 (YPG)が「クルド人防衛」を名目としてラース・アル=アインに侵攻し、自由シリア軍と交戦。2月末、停戦合意が交わされ、町の南地区をYPGが、北地区を自由シリア軍が支配する事となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「自由シリア軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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