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自由民主党本部放火襲撃事件(じゆうみんしゅとうほんぶほうかしゅうげきじけん)とは、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)の地下軍事組織である「人民革命軍」が、火炎放射車によって自由民主党の本部ビルに放火した事件である。 == 事件の概略 == 1984年9月19日午後7時半ごろ〔朝日新聞 1984年9月20日朝刊 総合1面〕。、東京都千代田区永田町にある自民党本部裏の中華料理店駐車場に、某運送会社の配達車に偽装した2台の小型トラックが停車した。30歳前後の運転手の男が店員に対し「お届けに参りました。印鑑をお願いします」と話しかけたため、店員が奥に印鑑を取りに行った。その間に数人が駐車した偽造ナンバープレートのトラックの荷台に積み込んでいた火炎放射器を操作して自民党本部北側3階に向けて火炎放射した〔朝日新聞 1984年9月20日朝刊 総合1面〕。犯人らはライトバンで逃走し、その後車ごと作業服とともに焼き捨てる証拠隠滅を図っていた。なお、火炎放射器の下の箱には「中核派」と書いていた〔朝日新聞 1984年9月20日朝刊 総合1面〕。 この火炎放射器はプロパンガスの入った高圧ガスが可燃性の液体を噴射し、それに着火した火炎を放射する仕組みで、火炎放射ノズルは自在に角度を変えることができる仕組みになっていた。これによって発生した火災により、自民党本部の北側3階から7階が類焼し、党事務局や会議室など約520平方mが焼失した〔朝日新聞 1984年9月20日朝刊 総合1面〕。 折しも、自民党総裁選挙を控えており、2階にあった自民党党員の選挙人名簿などの書類を搬出するために党所属の国会議員まで駆け付けるなど騒然とした。被害額は10億円にも及んだ。なお自民党本部へは火炎瓶が投げ込まれたり、発火装置を玄関に置かれたことはあったが、放火されたのははじめてであった〔朝日新聞 1984年9月20日朝刊 総合1面〕。 この事件現場で、法務大臣の住栄作が、消火活動に当たっていた衆議院議員の浜田幸一を見て、「マッチポンプみたいな真似しやがって」と発言し、その場で浜田に殴打された(法相殴打事件)。後日、住は浜田に発言は不適当だったと謝罪した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「自由民主党本部放火襲撃事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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