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自由都市ダンツィヒ[じゆうとしだんつぃひ]
自由都市ダンツィヒ(じゆうとしダンツィヒ、独:Freie Stadt Danzig, 波:Wolne Miasto Gdańsk)は、現在のグダニスク(ドイツ名ダンツィヒ)に、ポーランド(およびプロイセン連合)時代、ナポレオン時代、両大戦間期の3度にわたり存在した都市国家である。ダンツィヒ自由都市やダンツィヒ自由市とも表記される。 == ポーランド時代のダンツィヒ(1440年 - 1793年、353年間) == 1410年のタンネンベルクの戦いで惨敗し、事実上ポーランド王国の属国となったドイツ騎士団であるが、ダンツィヒへの強権的支配は続いた。ダンツィヒはドイツ騎士団に対抗して、ダンツィヒ自身と、トルン、エルビングの3都市を盟主としてプロイセン連合という自由都市連合を結成、連合の加盟27都市はポーランド王国と同盟した。 連合とドイツ騎士団との抗争はついに十三年戦争に発展、ポーランド王国の庇護をうけたプロイセン連合はドイツ騎士団に対し完全な勝利を収め、連合はその存在意義(ドイツ騎士団への抵抗)がなくなったことから、1466年に締結された第二次トルンの和約で連合は解散し加盟各都市はポーランド王国に正式加盟、ポーランド・リトアニア共和国時代にかけて300年以上の長きにわたる黄金時代を迎えた。 しかしその後の数十年間でポーランドの国力が急速に衰え、1793年に第二次ポーランド分割が行われ、ダンツィヒはポーランドから引き離されてプロイセン王国に併合され、14年後の1807年にナポレオンが解放するまでその自由を奪われることとなった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「自由都市ダンツィヒ」の詳細全文を読む
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