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臼井城の戦い : ウィキペディア日本語版
臼井城の戦い[うすいじょうのたたかい]

臼井城の戦い(うすいじょうのたたかい)は、戦国時代永禄9年(1566年)に北条氏与力千葉氏原氏上杉氏の間で起きた戦闘。
== 概要 ==
永禄9年(1566年)の正月末に、上杉謙信(当時は輝虎)は、佐野に向けて軍を進めたのち、常陸へ出兵して、先の攻略により一旦退いていた小田城に再び入った小田氏治を攻め、小田城を開城させると城内の人々の売買の許可を出す〔池享・矢田俊文『上杉氏年表(増補改訂版)-為景・謙信・景勝』(高志書院、2007年)P121〕。下総に向けては、関越軍による乱暴狼藉の禁止の制札を出した。
そして3月、千葉氏の家臣原胤貞の治める下総臼井城に攻め寄せた。だが、北条氏による原胤貞への救援もあり、上杉軍は数千人の死傷者を出して敗北したという(『戦国遺文』〔池享・矢田俊文『上杉氏年表(増補改訂版)-為景・謙信・景勝』(高志書院、2007年)P121〕)。
この臼井城での敗北により、上杉謙信から常陸・上野下野の諸将が離れていくこととなり、関東平定が困難な状況に陥った。このことが、北条氏からの越相同盟の申し入れを受け入れる原因のひとつになったといわれる〔市村高男『東国の戦国合戦』(吉川弘文館、2006年)P198~199〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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