|
臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)は、大分県臼杵市にある磨崖仏である。一般には臼杵石仏(うすきせきぶつ)の名で知られている。1952年(昭和27年)、国の特別史跡に指定され、1995年(平成7年)には、磨崖仏として日本初、彫刻としては九州初の国宝に指定された(指定対象は臼杵市深田にある4群59躯)。 == 歴史 == 磨崖仏造営の時期や事情を証する史料は一切残っていない。地元に伝わる「真名野長者伝説(炭焼き小五郎伝説)」は、用明天皇が登場することから6世紀後半が舞台と考えられるが、この伝説では長者が亡くなった娘の菩提を弔うために磨崖仏を彫らせたという。しかし、実際の磨崖仏は、仏像の様式などから大部分は平安時代後期、一部は鎌倉時代の作と推定されている。 山岳仏教の衰退と共に忘れ去られてしまった磨崖仏は1000年の風雨に曝され続けることとなった。元々阿蘇山からの火砕流が溶結した凝灰岩に掘られた石仏は脆く、また参拝者によって自然にできた道が大雨の際は川に変わり石仏を削り取った。現在、多くの石仏の下半身が切り取られたように無くなっているのはそのためである。 劣悪な環境の中で仏頭の多くが剥落した。中でも、最も有名な古園石仏群の大日如来像の仏頭は、1994年(平成6年)3月に保存修復が完了するまでの間、仏体下の台座に置かれたままであった。修復にあたっては、元の姿に戻すべきという意見と、臼杵のシンボルともなっている像の姿を大きく変えることを憂慮する意見との間で激しい論争が起きたが、仏頭の元の位置への修復が国宝指定の条件として文部省(当時)から提示されたため、最終的に元の位置へ復元されることとなった。臼杵駅のプラットホームにある仏頭のレプリカは修復前に作られたもので、仏頭が足下に置かれていた時期の状態をよく表している。一方、駅前にはこの像が彫られた当初の姿を復元したレプリカが設置されている。仏頭が再び体とつながったことで、参拝すると首がつながる、会社でリストラ(解雇)されないという俗説が生まれた。 なお、V字型の谷になっていた周辺の地形は、保存修復工事の際に、石仏が彫られていない方の壁が切り崩されて麓の里まで水を止めるものがなくなった上、石仏の周囲には排水設備が導入されたため、現在は石仏の下に水流ができるということは無くなった。しかし、岩陰の湿潤した条件では苔が繁殖しているため、その対策が行われている。 * 1952年(昭和27年)3月29日 - 国の特別史跡に指定 * 1962年(昭和37年)6月21日 - 国の重要文化財に指定 * 1995年(平成7年)6月15日 - 国宝に指定 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「臼杵磨崖仏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|