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興世書主 : ウィキペディア日本語版
興世書主[おきよ の ふみぬし]
興世 書主(おきよ の ふみぬし、宝亀9年(778年) - 嘉祥3年11月6日850年12月12日))は、平安時代前期の貴族氏姓は吉田連、のち興世朝臣。内薬正・吉田古麻呂の子。官位従四位下治部大輔
== 経歴 ==
吉田氏(吉田連)は百済渡来氏族。祖父の宜・父の古麻呂共に侍医で、それぞれ儒学にも長じており、多くの門徒がいたという〔『日本文徳天皇実録』嘉祥3年11月6日条〕。
平城朝では尾張少目縫殿少允を歴任する。嵯峨朝に入り、内匠少允を経て、弘仁4年(813年左兵衛権大尉に転じた後は、左衛門大尉検非違使尉右近衛将監と武官を歴任する。弘仁7年(816年従五位下・織部正に叙任される。弘仁9年(818年和泉守として地方官に転ずるが、名声が高かった〔。弘仁12年(821年)従五位下、弘仁14年(823年)従五位上・備前守に叙任。備前守としての統治により平安京へ向かう道路は清らかに治まっている様子であったという。また、嵯峨天皇からは寵遇を受け、進退に対して非常に気にかけられていたという〔。
天長4年(827年左京亮に転任し、翌天長5年(828年筑後守に任ぜられるが、病気を理由に赴任せず、天長8年(831年)左京亮に還任する。仁明朝の承和4年(837年)興世朝臣姓への改姓を請い許される。その後、承和9年(842年正五位下、承和14年(847年従四位下と昇進し、この間に信濃守木工頭を務めた。
文徳朝の嘉祥3年(850年治部大輔に任ぜられたが、老いによる衰えを理由に山林の地に隠棲し、仏道に専念した〔。同年11月6日卒去。享年73。最終官位は従四位下治部大輔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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