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興勢の役 : ウィキペディア日本語版
興勢の役[こうせいのえき]

興勢の役(こうせいのえき)は、中国三国時代244年に、の間で起きた戦い。魏の曹爽は10万の大軍を率い蜀に侵攻したが、蜀の王平は駱谷道の興勢山に出撃してこれを迎え撃ち、曹爽は撤退した。駱谷の戦い、興勢山の戦いとも呼ばれる。
==事前の経緯==
239年1月、明帝曹叡が崩御すると、大将軍曹爽は司馬懿と共に後継者の曹芳の補佐役となった。曹爽は何晏ら臣下の提言で権力を独占しようと画策するが、司馬懿のこれまでの功績は重く依然として対蜀漢の最前線を任されていたため、軍権を奪うことまではできなかった。司馬懿は、241年には樊城を包囲した呉の朱然らを撃退(芍陂の役)、243年には呉の諸葛恪を撤退させるなど対呉戦線に於いても大きな実績を挙げていく。その一方で、曹爽には地位はあったものの軍事的実績において司馬懿に大きく劣っていた。
243年10月、蜀の司令官であった蒋琬は、北伐計画の為に駐屯していた漢中から主力軍を撤退させ、涪県(現在の四川省綿陽市)に駐留した。魏の曹爽は蜀漢を征伐する絶好の機会と捉え、丁謐(ていひつ)・鄧颺(とうよう)・李勝らの進言もあり蜀討伐を決意し、李勝と征西将軍・夏侯玄を西方に派遣し遠征の準備をさせた。だが、司馬懿は失敗を予期して強くこれを諌めた。曹爽と彼の臣下は、蜀からの増援到着前に兵の数で圧倒すれば漢中征服は容易であり、たとえ蜀を完全に征伐できずとも、漢中攻略だけで曹爽の名声と朝廷への影響力を増大させるには十分であると考え、蜀漢征伐に繰り出した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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