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興禅護国論[こうぜんごこくろん] 興禅護国論(こうぜんごこくろん)とは、鎌倉時代初期、日本に臨済宗を伝え広めた栄西による仏教書。栄西が禅の布教にあたったとき、南都北嶺より激しい攻撃が加えられたのに対し、禅宗の要目を論じた著作〔前田(1979)p.382〕〔葉貫(1985)p.419〕。栄西にとっては主著にあたり、「日本における禅宗独立宣言の書」とも評価される〔藤井(2004)〕。 == 概要 ==
建久9年(1198年)以前の成立と考えられる〔。全3巻で、禅宗は決して天台宗の教えに違背するものではなく、根本的には対立・矛盾するものではないとして、仏典(経・律・論〔この3つの仏典を総称して「三蔵」という。〕)において説かれる禅の本旨を述べた著作である〔〔石井(1979)pp.269-273〕。仏道を追究して悟りを得ることのできる人の心の広大さを称える一文「大いなるかな、心(こころ)哉(や)」で始まり、全編は、第一「令法久住門」、第二「鎮護国家門」、第三「世人決疑門」、第四「古徳誠証門」、第五「宗派血脈門」、第六「典拠増進門」、第七「大綱歓参門」、第八「建立支目門」、第九「大国説話門」、第十「回向発願門」の10門に分けられる〔〔。禅の普及に圧力をかける南都北嶺とくに山門(比叡山延暦寺)に対する弁明・反論と朝廷から布教の許可を得ることを目指して著述された。 建久6年(1195年)の『出家大綱』、元久元年(1204年)の『日本仏法中興願文』とならび、栄西の思想を知るのに重要な著作である〔。原文は漢文で、巻首には筆者不明の栄西の伝記、巻後には栄西自身による『未来記』が付されている〔。
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