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舞鶴要塞砲兵大隊 : ウィキペディア日本語版
舞鶴要塞[まいづるようさい]
舞鶴要塞(まいづるようさい)とは、舞鶴鎮守府周辺に設置された大日本帝国陸軍要塞1897年(明治30年)11月に建設が開始された。舞鶴港にある海軍施設の防衛を任としていた。
日清戦争で勝利した日本は、南進を続けるロシアを脅威とし、対露防衛の要として新舞鶴(現在の京都府舞鶴市)に海軍の軍事拠点、舞鶴鎮守府の建設を決定、それに先立ち1887年(明治20年)3月、舞鶴要塞地帯(葦谷砲台)の建設に着手、陸軍も同年11月に砲台建設と舞鶴要塞砲台大隊を駐屯させている。なお全工事の完了は1903年(明治36年)10月のことだった。日本陸軍の要塞としては、日本海側に設置された唯一の軍事要塞地帯のものであった。
== 沿革 ==

* 1889年(明治22年):第四海軍区鎮守府を舞鶴に設置する事を閣議決定。
* 1897年(明治30年):舞鶴湾防衛を任とし舞鶴要塞建設着工。
* 1898年(明治31年):舞鶴要塞司令部を倉谷より下安久に移転。
 *11月28日:舞鶴要塞砲兵大隊は京都府加佐郡余内村に移転〔『官報』第4634号、明治31年12月9日。〕。
* 1900年(明治33年)6月1日:舞鶴要塞司令部が加佐郡余内村の庁舎に開庁〔『官報』第5074号、明治33年6月4日。〕。
* 1901年(明治34年):舞鶴鎮守府、開庁。
* 1903年(明治36年):全工事完了。
* 1907年(明治40年):舞鶴要塞砲台大隊を舞鶴重砲兵大隊に改称。
* 1936年(昭和11年):舞鶴重砲兵連隊に昇格。
* 1940年(昭和15年):陸軍中部軍創設により、中部第71部隊と改称。
* 1945年(昭和20年):終戦。陸海軍、舞鶴要塞放棄。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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