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舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年9月17日)は、日本の俳優。本名:舟橋 澄。新東宝映画での活躍をはじめ、テレビ時代劇『新選組血風録』『燃えよ剣』の近藤勇役としても知られる。 == 来歴・人物 == 北海道帯広市生まれ。1948年、法政大学予科在学中に、東横映画(東映の前身)の第1回ニューフェイスに合格、大学を中退して入社し、『月光城の盗賊』でデビューした。退社後は文化放送のラジオドラマなどでキャリアを積む。 劇団ひばり座を経て1950年に、東映東京撮影所の大泉演劇協団に入り、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に出演する。1952年、佐分利信監督による『人生劇場』において青成瓢吉役を演じる。 フリーになった後、新東宝と専属契約し、『若人のうたごえ』シリーズ等、数本の主演作を残す。 1960年代に入り、新東宝の倒産が確実となり、テレビに活躍の場を移す。開局まもないKRテレビ(現・TBSテレビ)の『ばらの伯爵』に出演したことを機に『喧嘩太郎』『黒い訪問者』など数多くのテレビドラマに出演する。 1965年には、NET(現・テレビ朝日)の『新選組血風録』で新選組局長・近藤勇役を演じる。土方歳三役の栗塚旭や沖田総司役の島田順司と共に人気を獲得し、その後もテレビ時代劇に欠かせない存在となった。 『われら九人の戦鬼』では野心家ながらもコミカルな忍者、「七位の大乗(なないのだいじょう)」に扮し、シリーズの後半で危機に瀕した多聞夜八郎(演:栗塚旭)らの血路を開くために自爆する、という印象的な役どころを演じている。 私生活では、無類の酒好きが災いして糖尿病を患い、療養生活を送るようになる。1970年、NETの『燃えよ剣』で再び栗塚、島田らと共に近藤勇役に配役されたが、『血風録』で見せたかつての精悍さは消え、体力も衰えていた。晩年は眼底出血のために失明、聴力も衰えるなど凄絶な闘病生活だった。 1974年9月17日、膵臓ガンのため死去。。最後の出演はNHKの少年ドラマシリーズ『コロッケ町のぼく』だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「舟橋元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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