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船原 長生(ふなはら ちょうせい、1953年12月10日 - )は、アメリカ在住のミュージシャン、映画監督、映画プロデューサー。兵庫県で生まれ、日本大学芸術学部映画学科卒業後、NYU(ニューヨーク大学)大学院映画学科に学ぶ。 大学院在学中に、パンクロック・バンドのカルト的な存在となったプラズマティックスのベーシストとしてニューヨークでミュージシャン・デビュー、その後映画制作に移行し、1992年、村上龍原作の映画『トパーズ(東京デカダンス)』のプロデューサー、また、サンダンス映画祭でグランプリを受賞した『イン・ザ・スープ』(アレクサンダー・ロックウェル監督作品)のエグゼクティヴ・プロデューサーを務めた。 ==略歴== ===学生時代=== 1969年、兵庫県立加古川東高等学校入学すると、高校在学中から、後に各分野の文化人として名を成した同世代の人物たちとの交流が始まった。 後にコピーライターとなった中島らも、フランス文学者・作家・翻訳家となった鈴木創士とは三ノ宮で知り合い、ラジオ・パーソナリティとなった谷五郎とは同級生であった。中島によれば、中島と共に大阪芸大を受験し両者合格したものの、構内に立てられていた『まむしに注意』の看板に驚いた船原は入学を取りやめたのだという。 1972年、日本大学藝術学部映画学科に入学し、大学3年次にニューヨーク州北部にあるシラキューズ大学に留学した。大学4年のときに沖縄で沖縄海洋博が開かれると、通産省の管轄であった海洋文化館に勤務し、三木首相付きの同時通訳を務めるかたわら、現てぃんがーら・シアターが当時のハイテクを駆使して運営したコンピューター制御のマルチ映像で、プログラマー兼オペレイターを行なった。 1976年、日本大学芸術学部映画学科卒業すると再び渡米し、サンフランシスコ・アカデミー・オブ・アート、サンフランシスコ・アート・インスティチュートと、西海岸の芸術大学に在籍した。その翌年、ニューヨークへ移住、ニューヨーク大学大学院 Graduate School of Arts and Science,(Cinema Studies) 修士課程に在籍するも、1年後にはパンクロック、プラズマティックスの結成にあたってベーシストとして参加し、大学院を中退するに至った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「船原長生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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