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艦内神社(かんないじんじゃ)とは、軍艦や艦艇などの内に設けられる小規模の神社のことである。 これらは法令上の根拠があるものではなく、関係者の任意によって設けられたものであり、専任の神職は存在しない。 == 概要 == 神社と呼ばれてはいるものの、陸の神社と比べ規模は小さく、潜水艦や駆逐艦などの小型艦艇になると、大きい神棚程度のものであるとされている。 大体は艦長室か機関室、食堂付近などの人の集まる所に設置される。日本海軍時代には天皇の御真影・勅諭とともに安置された。 伊勢神宮より皇大神宮別大麻を奉斎する例もある〔#海軍制度沿革(巻8、1940)p.394『◎皇大神宮別大麻寸法ニ關スル件 昭和五年二月五日(軍務一二一)(軍務局長ヨリ關係各廰長宛) 首題ノ件ニ關シ内務省神社局長ヨリ左記ノ通申進有之候御了知相成度 記 昭和五年一月三十一日(四神司四九)(内務省神社局長ヨリ海軍省軍務局長宛)皇大神宮別大麻ヲ軍艦ニ奉齋スルノ件 軍艦ニ於テ大麻ヲ奉齋スル向ニ對シテハ從來神宮神部署ヨリ皇大神宮別大麻ヲ投與スル例ニ有之候處右別大麻ノ寸法ハ奉齋所設備上ノ参考ト可相成被存候ニ付左記ノ通御含置被下度此旨申進候 記 一 皇大神宮別大麻寸法長 壹尺壹寸八分/幅 四寸八分/厚 参寸』〕。 艦内神社と関連する神社から神主が当該軍艦に派遣され祭祀をおこなったり〔#高松宮日記2巻150頁『十月二日 午前、機能調査などする。午后、一時四十五分より高雄神社のお祭りをする。本家の護王神社から神官がきてやつた、それがもと侍従の小松〔小松行一〕だからおかしかつた。この五月に護王神社へかわつたのださうだ。諸競技の賞品授与式や奉納仕合あり。(以下略)』〕〔#高松宮日記2巻289頁『八月十二日 午前、神宮から神主がきて、扶桑神社のお祭りをする。午後、夕方、貴族院や衆議院の議員数名と大蔵省の役人が見学便乗にきて、本艦へは役人が三人ほどとまる。』〕、艦長や乗組員が参拝するなどの交流があった〔#松永、ネイビーp.94『本艦にある陸奥神社は、青森県にある岩木山神社の御分神をお祀りしてある。「陸奥」総員は、陸奥湾入泊の機会に数班に分かれて、参拝隊を編成して参拝したが、それは氏子が氏神様にお詣りする雰囲気と同様だった(以下略)』〕。 日本では古くから海上交通の安全を祈願するため、船霊を祭るという信仰が伝えられてきており、艦内神社もその延長線上に存在するとされる〔大原康男「旧日本軍をめぐる宗教的事象序説」〕が、艦内神社自体の成立が日清戦争後から日露戦争前にかけてとする証言もあり〔『艦内神社』 朝日新聞 1944年5月22日朝刊2面。安保清種海軍大将および小笠原長生海軍中将の証言があるが、発祥が明らかでないとの記述もある。〕、船霊との関連は明らかではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「艦内神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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