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良岑長松 : ウィキペディア日本語版
良岑長松[よしみね の ながまつ]
良岑 長松(よしみね の ながまつ、弘仁5年(814年) - 元慶3年11月10日879年12月26日))は、平安時代の貴族。名は良松とも記される〔『尊卑分脈』。六国史では一貫して長松と記される。〕。大納言良岑安世の子。官位従四位上山城権守
== 経歴 ==
承和年代の初頭に常陸権大掾伊予を歴任。承和5年(838年遣唐使准判官として渡唐するが、翌承和6年(839年)の帰国時に嵐に遭い南海に漂流、同乗者の多くが命を落とす中で幸運にも生き残り、承和7年(840年)6月大隅国に帰着〔『続日本後紀』承和7年6月18日条〕。同年中に従六位下から4階昇進し従五位下叙爵された。その後、仁明朝では侍従丹波介縫殿頭を歴任した。
嘉祥3年(850年文徳天皇即位に伴い、従五位上に叙せられる〔『日本文徳天皇実録』嘉祥3年4月17日条〕。のち、宮内大輔諸陵頭を経て、文徳朝末の天安2年(858年)正月に武蔵守に転任すると〔『日本文徳天皇実録』天安2年正月16日条〕、大和権守但馬権守河内守山城権守清和朝から陽成朝にかけては主に地方官を歴任した。またこの間、貞観10年(868年正五位下〔『日本三代実録』貞観10年正月7日条〕、元慶元年(877年従四位上に叙せられている〔『日本三代実録』元慶元年11月21日条〕。元慶3年(879年)11月10日卒去。享年66。最終官位散位従四位上。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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