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色部 久長(いろべ ひさなが)は、江戸時代後期から末期にかけての米沢藩の家老。受領名が長門守であったことから色部長門の名で知られている。戊辰戦争において奥羽越列藩同盟に列した米沢藩より、旧幕府の直轄領であった越後府で港のある新潟町(現在の新潟市)を警備する為に総督に命じられ、奮戦し功績を残した。 == 経歴 == === 戊辰戦争前 === 幼少より藩校興譲館に学び、助読となる。嘉永6年(1853年)に家督を相続し、安政6年(1859年)に侍頭兼江戸家老となる。元治元年(1864年)に奉行(国家老)となる。慶応元年(1865年)、上杉茂憲に従い京都に上洛。御所南門警護に当たる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「色部久長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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