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色部光長 : ウィキペディア日本語版
色部光長[いろべみつなが]

色部 光長(いろべ みつなが)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将上杉氏の重臣。米沢藩士。
== 生涯 ==
天正15年(1587年)に上杉氏の重臣で越後国岩船郡小泉庄平林村(新潟県村上市平林)の平林城主であった色部長真の嫡男として生まれる。文禄元年(1592年)に父・長真が死去したため、幼少で家督を継ぐ。長真の遺言に従って直江兼続の妹(兼続の次女とも)を正室に迎え、元服するまでは後見人となった兼続の助けを借りて家中を治める。
慶長3年(1598年)の会津移封で出羽国置賜郡山形県南陽市)の金山城主となり、慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦では先陣を任されている。上杉家減封後は置賜郡窪田村(山形県米沢市窪田町)を知行とする。慶長7年(1602年)に元服し、兼続から「綱」の字を貰い綱長と名乗る〔『色部文書』慶長7年12月16日(1603年1月27日)付色部龍松丸宛直江兼続書状に「仮名の事、御所望に任せ、与三郎然るべく候。一字の儀綱の字之れ進じ候。御信用有るべく候。」とある。〕が、後に改名する。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣に従軍。寛永元年1月15日1624年3月4日)に長門守となり、寛永3年(1626年)11月に侍頭に就任する。寛永17年6月2日1640年7月20日)没、享年54。家督は養子・利長が相続した。
兼続は光長の後ろ盾として色部氏を重用し、兼続死後も幕末に至るまで、色部氏は米沢藩の重臣として藩を支えていくことになる。子孫に赤穂事件忠臣蔵)の時に江戸家老を務めていた色部安長(又四郎)や上杉鷹山の藩政改革の折に七家騒動で処分された色部照長(典膳、のち修理)、戊辰戦争の時に米沢藩総督を勤め新潟で戦死した色部久長(長門)らがいる。(養子等による家督相続も挟まれている為、直接の血縁では無い)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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