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芋川親正 : ウィキペディア日本語版
芋川親正[いもかわ ちかまさ]

芋川 親正(いもかわ ちかまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将武田氏上杉氏の家臣。正親とも伝わる〔『上杉公記』〕。
== 生涯 ==

=== 武田家臣 ===
天文8年(1539年)、芋川正章の長男として誕生。芋川氏信濃国飯綱国人領主で、父・正章は武田信玄の信濃侵攻で降伏し武田家臣となっている。
芋川氏の領する若宮城は武田氏と上杉氏の領土境界付近にある拠点であり、永禄12年(1569年)には信玄から親正に「雪が消えれば越後勢を攻めるのでそれまで境を守っていて欲しい」という内容の書状が来るなど対上杉の防衛線の拠点として機能していた事が伺える。
天正6年(1578年)、武田勝頼上杉景勝との間で甲越同盟が結ばれた事でひとまず上杉の脅威は去っていたが、天正10年(1582年)2月に織田信長の嫡男・信忠を総大将とする甲州征伐が敢行され、勝頼が自害に追い込まれると信忠配下の森長可に北信濃4郡が知行として割り振られ、芋川氏を取り巻く環境は急変した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「芋川親正」の詳細全文を読む



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