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芝山 定豊(しばやま さだとよ、寛永15年4月10日(1638年5月23日) - 宝永4年5月2日(1707年6月1日)は、江戸時代の公家(公卿)。 堂上家(家格は名家、藤原北家高藤流勧修寺庶流)である芝山家の第 2代当主。 == 経歴 == 権大納言・芝山宣豊の実子。養子に、参議・芝山広豊(左中将・四辻季輔の次男)。弟に、芝山宣助(武士・仕尾張藩)、阿部房豊(武士・仕湯長谷藩)、長徳院瑞屯(侍医・旗本)などがいる。 官途は、従二位・権中納言。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「芝山定豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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