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芝山 広豊(しばやま ひろとよ、延宝2年2月23日(1674年3月30日) - 享保8年2月13日(1723年3月19日))は、江戸時代の公家(公卿)。 堂上家(家格は名家、藤原北家高藤流勧修寺庶流)である芝山家の第3代当主。 == 経歴 == 左中将・四辻季輔の次男。権中納言・芝山定豊の養子。母は右大臣・久我広通の娘。養子に権中納言・芝山重豊(図書頭非参議・高丘季起の次男)、右権中将・芝山経業(参議・水無瀬氏孝の子、のち帰家)、権中納言・石井行忠の室などがいる。 官途は従三位・参議兼右衛門督。和歌、書画を能くした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「芝山広豊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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