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葦原金次郎[あしはら きんじろう]
葦原 金次郎(あしはら きんじろう、1852年(嘉永5年)〔嘉永3年(1850年)11月3日生まれとする説(デジタル版 日本人名大辞典+Plus )、嘉永4年(1851年)11月3日生まれとする説(野村章恒『森田正馬評伝 』(白揚社、1974年))もある。〕 - 1937年(昭和12年)2月2日)は、明治後半から昭和にかけて実在した日本の皇位僭称者。葦原将軍、葦原天皇、葦原帝とも呼ばれる。 == 生涯 == 高岡藩士の三男として〔世界大百科事典 〕加賀国金沢に生まれ、埼玉県深谷で櫛職人として働いていたが、24歳頃に誇大妄想症を発病した。病名については「躁病の誇大妄想」、「分裂病の誇大妄想」、あるいは「梅毒からくる進行麻痺の誇大妄想」など、医師によって診断が分かれる〔埴谷雄高との対談における北杜夫の発言。『埴谷雄高全集』第17巻、講談社、2000年。〕。 1882年に天皇への直訴未遂事件を起こし、東京府癲狂院(1889年に巣鴨病院と改名)へ入院した。数度の脱走を繰り返した後1885年に再入院。彼の誇大妄想は日露戦争の戦勝とともに肥大化し、いつしか将軍を自称するようになった。さらに、昭和の頃には天皇を自称するようになった。1919年に松沢病院へ転院、以後1937年に88歳で亡くなるまで松沢病院で過ごした。 墓所は世田谷区の豪徳寺にあった。戒名は至天院高風談玄居士。円筒形の墓石には戒名とともに「自称芦原将軍として56年の生涯を狂聖として院の内外に名物男として知られ」と彫り込まれている。ただし無縁となった墓所は改修され、2015年12月現在では墓石のみが同寺墓地北側の過去塔安置場所に、寺域各所から下げられた石仏などとともに残る。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「葦原金次郎」の詳細全文を読む
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