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芦田信蕃 : ウィキペディア日本語版
依田信蕃[よだ のぶしげ]

依田 信蕃(よだ のぶしげ)は、戦国時代武将。甲斐武田氏の家臣、後に徳川氏の家臣。
== 生涯 ==

=== 出生から武田家臣時代 ===
はじめ武田信玄信濃先方衆として仕え、信玄の死後は引き続き勝頼に仕えた。永禄11年(1568年)12月、武田氏の駿河侵攻で駿府に乱入した軍勢の中に信蕃の名も見える。天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いの時期には遠江国二俣城静岡県浜松市天竜区)の守将を務めた父の依田信守と共に、信蕃兄弟も籠城し抵抗した。
長篠の戦いで武田軍が大敗し徳川家康率いる徳川軍が反攻して来ると、僅かな手勢で堅固に守った。この間に病床にあった信守は死去する。信蕃が守将となり籠城が続行された。徳川方は攻めあぐね、城の周囲に複数の砦を築き、兵糧攻めにするしかできなかった。実に半年にも亘った攻防の末、結局力攻めでは落せないと判断した徳川方の申入れにより、全員の助命を条件に開城、高天神城(静岡県掛川市)に退去した。退去の際、城内を清掃したのち、整然と退去したとされている。後に駿河国田中城(静岡県藤枝市西益津)の城将となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「依田信蕃」の詳細全文を読む



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