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花山院定好[かざんいん さだよし] 花山院 定好(かざんいん さだよし、慶長4年10月11日(1599年11月28日) - 延宝元年7月4日(1673年8月15日))は江戸時代前期の公卿。藤原北家師実流の花山院家(清華家)の21代当主。おもに後水尾天皇(108代)から後西天皇(111代)の4代に仕えた。最終官位は従一位左大臣。 父は左大臣花山院定凞。母は朝倉義景の娘。兄に猪熊事件で蝦夷地に配流された花山院忠長がいる。正室は関白鷹司信尚の姫。子に花山院忠広、花山院定教、花山院定誠がいる。 慶長16年(1611年)に元服し侍従に叙爵。以降累進し、寛永8年(1631年)権大納言に任じられ、寛永20年(1643年)まで務めた。慶安2年(1649年)には内大臣となったがすぐに辞職。承応2年(1653年)から翌年にかけて右大臣、万治3年(1660年)に従一位に上り、寛文元年(1661年)から寛文3年(1663年)にわたって左大臣をつとめた。延宝元年(1673年)に薨去。享年73。
==関連項目==
* 花山院家
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花山院定好」の詳細全文を読む
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