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花山院家長[かざんいん いえなが]
花山院家長(かざんいん いえなが)は鎌倉時代の公卿。従二位権中納言。太政大臣花山院通雅の長男。早世したため、弟の家教が花山院家を継ぐことになった。
== 経歴 == 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の記事に従って記述する。 建長7年(1255年)1月5日、叙爵。正嘉元年(1257年)12月20日、従五位上に昇叙。正嘉2年(1258年)1月6日、正五位下に昇叙。同年3月8日、従四位下に昇叙。正元元年(1259年)11月16日、左中将に任ぜられる〔『公卿補任』によれば元侍従〕。同年12月25日、従四位上に昇叙。正元2年(1260年)3月29日、武蔵権介を兼ねる。弘長2年(1262年)1月5日、正四位下に昇叙。なお、同日に弟の家教が叙爵されている。また、同年7月16日には父通雅が右大将に任ぜられている。文永3年(1266年)2月1日、土佐介を兼ねる。文永5年(1268年)8月25日、春宮権亮を兼ねる。同年12月2日には父通雅が内大臣となる。文永6年(1269年)1月5日、従三位に叙せられる。中将は元の如し。同年4月に父通雅が右大臣に転任。文永8年(1271年)3月21日に父通雅が右大臣を辞し、同月27日代わりに家長が参議を経ず権中納言に任ぜられる。同年4月8日、勅授帯剣を許される。文永9年(1272年)正三位に昇叙か。文永11年(1274年)1月7日、従二位に昇叙。同年7月2日、薨去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花山院家長」の詳細全文を読む
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