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花山院忠長[かざんいん ただなが] 花山院 忠長(かざんいん ただなが、天正16年(1588年) - 寛文2年9月26日(1662年11月6日))は、江戸時代初期の朝臣。最終官位は従四位上左近衛少将。 藤原北家師実流花山院家の左大臣花山院定凞の長男で、母は不詳。弟に花山院家を継いだ花山院定好(従一位左大臣)がいる。子に野宮家の初代当主野宮定逸(正二位権大納言)や、黒衣の宰相と称された天海の弟子公海がいる。法名は浄屋。 慶長14年(1609年)、後陽成天皇の女官と密通した罪により、蝦夷地へと配流される(猪熊事件)。配所では松前藩の厚遇を得て、松前に京文化が伝わる契機を作ったとされる。寛永13年(1636年)に赦免され出家、降って慶安5年(1652年)に帰洛した。 category:江戸時代の公家
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花山院忠長」の詳細全文を読む
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