翻訳と辞書
Words near each other
・ 花山院師賢
・ 花山院常雅
・ 花山院忠俊
・ 花山院忠宗
・ 花山院忠定
・ 花山院忠煕
・ 花山院忠経
・ 花山院忠輔
・ 花山院忠長
・ 花山院忠雅
花山院忠頼
・ 花山院愛徳
・ 花山院持実
・ 花山院持忠
・ 花山院政長
・ 花山院流
・ 花山院経定
・ 花山院経雅
・ 花山院良定
・ 花山院茂子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

花山院忠頼 : ウィキペディア日本語版
花山院忠頼[かざんいん ただより]
花山院 忠頼(かざんいん ただより、正治元年(1199年) - 建暦2年12月19日1213年1月12日))は鎌倉時代公卿内大臣花山院忠経の長男。母は一条能保の娘
== 経歴 ==
正治3年(1201年)正月6日に従五位下叙爵建仁3年(1203年)に従五位上・侍従に叙任され、元久2年(1205年)正月5日に正五位下に昇叙。同年3月に禁色を聴された。元久3年(1206年)正月17日に従四位下建永2年(1207年)正月13日には備前介に任ぜられ、承元2年(1208年)従四位上・右近衛中将となる。承元3年(1209年)正月13日に播磨権介を兼ねて、承元5年(1211年)正月5日に正四位下に昇叙。建暦2年(1212年)正月5日に14歳にして従三位に叙せられて公卿に列し、清華家の嫡男として順調に昇進するが、同年12月より病に倒れる。18日には祈禱療治も効果がないほどとなり、19日の朝に薨去した〔『明月記建暦2年12月18日/19日条。〕。享年14。嫡男でかつ才能があり、藤原定家は日記『明月記』の中で両親の心中を察するべしとそのを悼んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「花山院忠頼」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.