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花山院長熙[かざんいん ながひろ] 花山院 長熙(かざんいん ながひろ、享保21年1月21日(1736年3月3日) - 明和6年8月14日(1769年9月13日))は、江戸時代中期の公卿。主に桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)の二帝にわたり仕え、官位は正二位権大納言・右近衛大将まで昇る。初め名前は兼済といった。父は右大臣花山院常雅。母は茶人鷹司輔信(鷹司房輔の末子)の娘。養子に右大臣花山院愛徳(中山家から)がいる。 元文5年(1740年)叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従・左近衛権少将を経て、寛延2年(1749年)従三位となり、公卿に列する。その後、左近衛中将・権中納言・踏歌節会外弁・右兵衛督・左兵衛督を経て、宝暦3年(1753年)に権大納言となる。さらに宝暦10年(1760年)には正二位となり、明和5年(1768年)より右近衛大将・右馬寮御監に任じられたが、翌年に病となり、朝廷への出仕をやめた。同年のうちに薨去。享年34。 ==関連項目==
* 花山院家
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花山院長熙」の詳細全文を読む
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