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花柳寿美[はなやぎ すみ] 初代花柳 寿美(はなやぎ すみ、女性、1898年2月11日 - 1947年2月8日)は、日本舞踊家。本名・大橋 勇(いさみ)。 == 経歴 == 岐阜県に諏訪政太郎と芸者の庶子として生まれ、名古屋の大橋家の養女となる。1910年、当時花柳流の家元の座を預かっていた花柳徳太郎に入門。その翌年には「小奴」の名で新橋の雛妓として座敷に出るようになる。2代花柳壽輔が家元に就いた後は壽輔の指導を受け、1918年には名取を許され、「寿勇」を名乗る。朝吹常吉をパトロンとし、小山内薫、6代目尾上菊五郎、蘆原英了、3代目市川左團次(当時・市川男女蔵)の指導を受け、花柳舞踊研究会で頭角を現す。 関東大震災後、妓籍を抜け、舞踊家として立ち、1924年に「寿美」を襲名する。寿美という名前は花柳流にとって由緒あるものとして伝わっていたが、壽輔はあえて寿勇を初代寿美とした。また1925年には自らの舞踊研究会である曙会を設立、女形舞踊ではない独自の女性舞踊を追究した。1947年、脳溢血のため死去。養女の大橋鈴子が2代目を、その長女萬寿子が3代目を継承した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花柳寿美」の詳細全文を読む
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