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青山 貴彦(花柳貴彦)(あおやま たかひこ(はなやぎ たかひこ)、1975年9月18日 - )は、東京都出身の日本舞踊家(花柳流)。 == 来歴・人物 == 青山良彦(花柳嶽) の子であり、祖父は人間国宝 花柳壽楽。また、三代目花柳壽輔とも血縁関係があり、従甥(従姉妹の子)にあたる。 祖父花柳壽楽の稽古のもと研鑽を積み、平成3年に花柳貴彦の名を許される。 平成6年に早稲田大学理工学部入学したのを期にして、一時日本舞踊の世界から離れる。その後、同大学大学院へ進学。平成12年には清水建設株式会社へ入社。 平成14年に当時の花柳流宗家家元(三代目花柳壽輔・三世)から家元承継を前提として日本舞踊の世界に戻るよう要請を受ける。この要請を受けて日本舞踊の世界に戻ることを決意し、平成15年に会社を退社して、以後、三世のもとで家元教育を受ける。 三代目花柳壽輔(三世)は、青山貴彦(花柳貴彦)を次期家元とする意思を周囲の者に伝えており、それを前提として家元教育が行われた。平成19年1月に原告の祖父であり三世の叔父にあたる花柳壽楽が逝去した後、三世は身近な者に対して平成20年1月に予定されている花柳寿楽の一周忌以降、青山貴彦(花柳貴彦)を次期家元とすることを正式に発表する旨を話していた。しかし、三世はこの正式な発表を行わないまま平成19年5月に急逝してしまった。 三世の急逝後、三世の後見人であった花柳寛が四世宗家家元への就任を自ら発表し、その後も家元としての活動を継続したことにより、三世の意思に反して青山貴彦(花柳貴彦)は宗家家元の地位に就くことができない状況が続いている。 伝統の継承と創造、現代における日本舞踊の可能性を探求し、平成22年に初の自主公演『花柳貴彦の会』を開催。現在は自ら弟子を指導する傍ら、明治座アカデミー日本舞踊講師を務める。また定期的に高齢者介護施設でのボランティア公演も行っている。 平成26年4月、三世宗家家元の急逝後に四世宗家家元として活動する花柳寛から「花柳流から除名する」との通知がなされた。この除名処分の有効性をめぐって訴訟となっている。この件については、花柳流に思いをこめて に詳しい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青山貴彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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