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花田仲之助 : ウィキペディア日本語版
花田仲之助[はなだ なかのすけ]
花田 仲之助(はなだ なかのすけ、万延元年(1860年) - 昭和20年(1945年))は、日本の陸軍参謀本部第2部の情報将校(中佐)。薩摩藩出身。
==経歴==
明治16年(1883年)、陸軍士官学校(旧6期)卒。日露戦争ロシアを混乱させた明石元二郎の同期である。
薩摩人ながらも藩閥を憎むこと甚だしく、陸軍の薩摩閥を一掃した。その事からも分かるように、剛直で謹言な性格であり、見識にも優れた面が多かったらしい。
対ロシアの特殊工作に従事。1897年、僧侶に偽装してウラジオストックに潜伏。布教と称してシベリア満州蒙古を偵察。ロシア対策に関して田村怡与造と衝突して退役した。
1901年、国民教化を目的とする団体報徳会を設立。「教育勅語」を基本とし「知恩報徳・感恩報謝」の精神を全国各地に広めた。
1904年、日露戦争が起きると予備役少佐として召集され、対馬警備隊に配属となった。しかし、ロシア軍の馬賊懐柔が進むと此に対抗して馬賊を統括する人物が必要となり、急遽参謀本部に復帰して満州に渡った。玄洋社大陸浪人14人と大陸浪人に偽装した参謀本部情報将校を中核とし、満州馬賊を纏めて満州義軍を編成した。最大事の兵力は3000に及んだが、最新銃器を馬賊に支給するロシアに対して、日本軍大本営スナイドル銃くらいしか支給せず、やむを得ず敵から装備を奪って自軍を増強した。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「花田仲之助」の詳細全文を読む



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