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貴ノ花 利彰(たかのはな としあき、1950年2月19日 - 2005年5月30日)は、青森県弘前市出身の元大相撲力士。現役時は二子山部屋所属であった。最高位は東大関。本名は花田 満(はなだ みつる)。身長183cm、体重114kg、血液型はB型。得意技は左四つ、寄り、吊り、上手投げ。「土俵の鬼」と謳われた第45代元横綱・初代若乃花の弟という血筋のよさに加え、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから、角界のプリンスと呼ばれた。大相撲の歴史上、また日本のスポーツ史上屈指の人気を誇った。位階は従五位旭日小綬章受章。 1993年1月場所後に次男の花田光司が四股名を「貴花田」から「貴ノ花」に変え、そして1994年11月以降の四股名であり後に一代年寄名跡となった「貴乃花」にして以降は、父の方は「初代貴ノ花」または「先代貴ノ花」と呼ばれている。 == 来歴 == === 相撲界へ入門 === 北海道室蘭市で10人兄弟の末っ子として生まれる。初代若乃花と若緑陸奥之丞(三段目)の弟。大豪久照の義弟。第66代横綱・3代目若乃花で現タレントの花田虎上と、「平成の大横綱」と呼ばれた第65代横綱(現・一代年寄)・貴乃花光司の父。母は武ノ里武三の又従姉。夫人は元女優で現タレントの藤田紀子(当時・憲子。2001年(平成13年)離婚)。 満が誕生した時、長兄の勝治(若乃花)はすでに22歳で幕内力士となっており、巡業がてら帰省した際に実家で初めて満と対面した。最初は結婚した姉の子供だと思っていたが、両親から「お前の弟だ」と聞かされて仰天し、「いい加減にせえや。何人産んだら気がすむんだ」と半ば呆れたという。 杉並区立東田中学校在学中に水泳で名を上げ、オリンピック選手の候補になるほどだった。専門はバタフライで、メキシコシティ五輪代表でメダルも期待された高田康雄とライバル関係にあり、二人で交互に中学記録を更新したほどであった。 しかし兄である二子山(初代若乃花)の相撲部屋への入門を希望。二子山はもう一人の弟である陸奥之丞が失敗するのを目の当たりにしていたため猛反対した〔一説に酒に酔って暴力を働いた責任を問われて兄である二子山自身の手で強制廃業に追い込まれたともされる。 参考となる証言 らくがき帳1998年5月 〕。また二子山はあるテレビ番組で『オリンピックのドン・ショランダーの活躍を見て、弟には相撲よりも水泳のオリンピック選手になってもらいたかった。』と語った。結局母が説得してくれたので、「いいか、今日からは父(22歳離れた兄である勝治は、父が早くに亡くなった後は兄弟たちの父代わりだった)とも兄とも思うな、敵だと思え」と兄弟の縁を切ることを条件に入門を許可した。後に巷間に名言として伝わった「水泳じゃメシは食えない(から力士になろうと思った)」という発言については、師弟揃って否定している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「貴ノ花利彰」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Takanohana Kenshi 」があります。 スポンサード リンク
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